従来の左翼ミニコミ誌は全て商業的に成功しなかったが、スクープという大衆心理をつく誌面の強化により大成功。
『噂の真相』は出版人、マスコミ人がよく目を通している雑誌だ。業界のスッパ抜きをやるので、書かれた人の中にはニガニガしく思っている人もいるが、おおむね業界内での評価は高い。
編集長の岡留が若かりし頃は全共闘運動に身を投じていた事もあって反権力を標榜して
いる。しかし、左翼雑誌というスタンスをとってっいるわけではなく、スキャンダル・ジャーナリズムをまっとうする事で反権力たろうとしているように見える。
そのスキャンダルが、芸能人の下半身にとどまらず、権威・権力まで標的としているア
ナーキーさが『噂の真相』の身上だろう。
そうしたアナーキーな反権力ジャーナリズムをつらぬいてきた雑誌が20年も続いたの
は驚くべき事だ。しかも公称20万部を誇っているのだ。凄い。
この20年『噂の真相』は一貫して他のメディアに刺激を与え続けてきた。最先端に立ち
続け、多くのスクープでジャーナリズム全体を活性化させてきた面もある。『噂の真相』
は時代を切り開いてきた。
『噂の真相』という誌名は、戦後の一時代を飾った暴露雑誌である。『真相』と、トップ屋として名をはせた後、丹念な取材に裏打ちされた作品で流行作家となった故梶山季之のやっていた『噂』から採ったのは有名な話だ。
『噂の真相』には、そうした草創期の匂いを強く残す雑誌ジャーナリズムの伝統へのこだ
わりがわるように思える。それが同時に時代を切り開く最先端につながりえている。そん
なところが『噂の真相』の強さだろう。
権威・権力におもねず、本音で勝負するのが雑誌ジャーナリズム本来の姿である。『噂
の真相』は異端の雑誌であるが、異端であることは雑誌ジャーナリズムの本筋なのだ。
このように雑誌の文化史、精神史的に『噂の真相』はきわめて正統的な系譜の上にある
雑誌なのだが、直接の出自としては60年代から70年代にかけてあった、左翼系ミニコミ誌の群の中に生まれた。
かつては左翼系ミニコミが何誌も発行されていた。だが、そのほとんどは時代の流れの
中に姿を消してしまった。
その理由は左翼の退潮があったと同時に、それらのメディアそのものが読者不在の作ら
れ方をしていたことにある。
大体において左翼ミニコミは総合オピニオン誌で、理屈ばかりが載っていた。そういう
時に『噂の真相』はノンフィクション記事で勝負をした。これが良かったのである。
その上、インパクトの強いスキャンダル路線が当たった。『噂の真相』は反権力硬派ジ
ャーナリズムとして、スキャンダルを武器に戦闘力を高めると同時に、それを売り上げに
結びつけることに成功した雑誌なのである。
この20年の『噂の真相』の活躍を見ると、大手マスコミを向こうに回して数々のスクー
プをものにし、皇室タブー、マスコミタブー、国籍タブーなどあらゆるタブーに挑戦してきた。これは『噂の真相』が持つ本音の戦闘力の証明であろう。
例えば1979年9月号には『天皇Xデーー昭和が終わる時』のような皇室タブー
に平然と触れる記事があり、10月号には『マスコミが書けない高校野球のタブー・佐伯天
皇の在在』という記事がある。これなども高野連からの取材拒否を恐れるマスコミは今で
も手を出さないネタだ。同じ号に『「同和」を名のるインチキ団体への”撲滅葬送曲”』
という記事もある。エセ同和とわかっていても、対決などはとてもできないメディア、企
業ばかりの中、少々の根性では出来ない企画だ。1981年1月号、2月号の『四天王・
添野師範逮捕で明るみに出た極真会館の大スキャンダル』も、普通はビビリが入って、と
てもじゃないがやらないネタだ。
しかし、『噂の真相』ははじめの10年、こういったネタに果敢に挑戦し、幾多のトラブ
ルに遭遇しつつ、伸びていった。
トラブルへの対処には、スキャンダルやゴシップを扱いながらも低きに流れないという
点に表れる、岡留の見事なバランス感覚があったのも大きかったろう。
このセンスが硬派スキャンダルジャーナリズムとして活かされたおかげで、数々のトラ
ブルと危機を乗り越えて『噂の真相』は生き残り、現在の位置を得るに至ったのである。
内容的な問題の他、かつての左翼ミニコミが消えていったのには経営的な理由もあった。
金主が総会屋であったため、商法改正で企業から金が取れなくなるとともに、維持でき
なくなってしまったのである。
『噂の真相』は総会屋などの金主を持たない独立した経営をしていた。内容で勝負し、売
れてさえいれば、商法改正などに左右される事なく、潰れないていられるのだ。
この経営の独立は『噂の真相』にとってかなり重要である。『噂の真相』の強さは、そ
れによって保たれているとも言えるからだ。
この独立経営は『噂の真相』創刊にまつわる事情から必然的にそうなったものである。
その事情とは、『噂の真相』の前身であった『マスコミひょうろん』から『噂の真相』
への流れにある。
1975年5月に創刊された『マスコミひょうろん』は、他では書かれない内幕、ゴシ
ップ、スキャンダルを記事にするなど、まさに『噂の真相』のプロトタイプであり、すぐ
に読者を引きつけていった。
しかし、その『マスコミひょうろん』1978年の11月号に、突然、岡留編集長が次の
ような編集後期を書いた。
「草創期や危機時には健在化しなかった矛盾が相対的安定期に入って表面化する事例は
多々見られることだ」「雑誌は〃生きもの〃である以上、生まれる(創刊)時もあれば、それに終止符(休刊)を打つ時が来るのも自明の理」
そして、次の12月号には編集人として岡留安則の名はなく、それまで発行人だった新島の名が、編集人兼発行人としてあった。
この12月号の編集後記には、
「当誌編集室・岡留安則は前号限りで、編集長の職務を解任しました。
したがって、今後岡留は『マスコミひょうろん』の編集とはい
っさい係りがありません」
とあった。
そして、創刊号として、『噂の真相』1979年4月号が発行された。
一時期は両誌を併読する人が多かった。だが、1983年9月20日新島がサラ金の「レ
イク」を恐喝したとして逮捕され、翌年4月10日に懲役1年8ヶ月の実刑判決を受けた事
件で、『マスコミひょうろん』は消滅した。
あるジャーナリストはこう言った。
「岡留氏が営業畑の人ではなかったので、雑誌を売って経営を成り立たせるしかなかった。それがかえって岡留氏を救ったんだ。新島氏の運命は反面教師となった。そういう意味でも『マスコミひょうろん』は『噂の真相』の原点と言えるような気がする」
90年代に入ってからの『噂の真相』は、世の中の保守化に抗して、硬派色を強めている
ようだ。堅い内容でも売っているのはさすがだ。そして、裁判でその時期がのびたものの、岡留が引退するはずだった今年、2000年は、『噂の真相』の新しい原点となる。