◎ニュース活動の再生を願って
共同通信の諸君に訴える
共同通信の現状を憂える会
新しい千年紀は共同通信社の地殻変動を象徴するようなニュースで幕を開けまし
た。共同創設以来の加盟社である岐阜新聞社が正月早々、朝日新聞社と包括的な業務
提携関係に入ると発表したのです。朝・毎・読の全国紙はこの二、三年、地域紙への
ニュース協力に力を入れてきましたが、その手がついに県紙レベルにも伸びてきたこ
とを実感させるものでした。日本の新聞界は、全国紙と地方紙の競争的共存という長
年の構図を脱し、新しい秩序を模索し始めたようです。
岐阜新聞社といえば、杉山幹夫社長は共同のもっとも重要な機関である連絡委員会
のメンバーであり、共同とはとりわけ深い信頼関係で結ばれていると考えられてきま
した。それがなぜこのような選択をあえて決断したのか−その背景には、このままで
はこれからの厳しい生存競争に生き残れないとの強い懸念があったと聞いています。
加盟社の一部では〃 共同離れ現象〃の一つとしてこの動きを事前に掌握していまし
たが、共同の経営陣は発表されるまでまったく想像もしていなかったようです。共同
の仕事に誇りと生きがいを託してきたものにとっては、まことに慨嘆せざるを得ない
事態であります。
私たちはいま、共同が二十一世紀を走り続けることができるのか、いや創立六十周
年記念日を無事に迎えることができるのかと危機感を募らせています。もとより共同
通信という企業組織の存亡だけが問題なのではありません。共同のニュース活動の停
滞が地方紙の力を弱め、民主主義の根幹をなす多様な言論活動に深刻な影響を与える
のではないかと加盟社の不安も高まっています。共同の諸君には仕事の現状について
もっと率直に発言してほしいと思います。自由な社内言論こそが職場を活性化し、仕
事に活力をもたらすのです。この一文は、志と気概をもつ人々が共同の現状を再確認
し、ニュース活動を再生するための一種の触媒になればという願いを込めて、多くの
有志が意見交換して草しました。
共同の生命線はいうまでもなくニュース活動にあります。その生命線がこの数年、
ことあるごとに揺らいでいるように見受けます。たとえば、この世紀末日本を震撼さ
せた一連の金融再編ニュースではほとんど後追いに回り、ライバル通信社の後塵を拝
する屈辱をなめたことが一再ならずありました。つまらないミスを連発し、「わび
訂」の後始に追われることも日常茶飯事になってしまったようです。この正月には官
内庁絡みのケアレスミスが共同ニュースへの信頼を傷つけました。 残念というほか
ありません。編集週報を読みますと、鈴木和好編集局長が「生ニュースで勝て、勝
て」と叱咤激励しています。「新千世紀を開く一月一日付の加盟社の紙面を特ダネで
飾ってほしい」とも力説していました。しかし、スクープというものが「局言」や編
集会議で檄を飛ばせば生まれてくるのであれば、だれも苦労はしないでしょう。共同
のニュース活動の弱体化はもっと根の深いところに起因しているのです。共同の記者
の力量が他社に比べて劣っているはずもなく、おそらくほとんどの記者は持てる力を
精いっぱい振り絞ってニュースを追いかけているものと想像します。それなのにな
ぜ、ここというときになかなか勝てないばかりか、思わぬミスを重ねてしまうので
しょうか。斎田一路社長の好きな表現を借りれば、これはまさに構造的、政策的な問
題にほかならないのです。まして編集活動の陣頭指揮を執る編集局長が、一九九六年
十月八日の衆院選公示日報道で日本の新聞史に残る大失態を演じた直接責任者であっ
たことを思い起こせば、そういう指導体制の下で現場の記者たちに士気を高めよと求
める方が無理というものでしよう。編集現場の尻をたたく以前の問題です。ちなみ
に、当時の編集局長だった山内豊彦氏があの不祥事を忘れたかのように常務理事の地
位にあることに、いまも加盟社幹部の中には強い不快感が見られます。
斎田社長は就任の弁で「みっともないミスはするな」とハッパをかけました。しか
し不幸なことに、こういう受け身の姿勢が編集幹部に定着して減点主義につながり、
デスクもニュースセンターも結局は自己保身と事ながれ主義に陥っているように見受
けます。これでは攻めの取材を指導することはできません。多少のミスやムダはあっ
ても、徹底的な攻めの取材姿勢の中からはじめてスクープは生まれるものなのです。
たとえば昭和天皇逝去の際、共同は全国から記者を大動員し、十億円近い予算外経費
を使って「昭和の終焉」という歴史的な取材に取り組みました。あの気迫と情熱なく
して、逝去の第一報を九分も抜くという通信社として最高の栄誉ある大スクープをも
のにできたでしょうか。司馬遼太郎氏は理想的なジャーナリストについて「職業的な
出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいら
れる所はない。特ダネをとったところで、物質的になんのむくいもない」のであり、
「無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし、同時に現実でもある」と記
しています。そういう記者たちが仕事に生きがいを感じられる健全な人事政策と職場
環境があってこそ、共同はニュースに強くなるのです。
社長の口ぐせは「ニュース活動の強化なしには経営基盤の安定はありません。しか
し経営基盤の安定なしにはニュース活動の強化はできません」というものです。前段
についてはそのとおりですが、社長が言いたいことは後段に力点が置かれています。
しかし「逆は真ならず」、経営が逆境にあっても、ニュース活動で成果を上げたケー
スはいくらでもあります。現に共同通信社も戦後の苦境の時代に先輩たちが他社に負
けない仕事を懸命に積み重ねたからこそ発展の歴史を刻むことができたのです。通信
社や新聞社に一般的な企業論理を単純に当てはめようとすること自体に明らかに無理
があります。コスト感覚も結構ですが、過度な効率主義はニュース活動を萎縮させる
だけで、元も子もない結果につながりかねません。取材費や業務費、車両費までも削
りに削って、それがニュース活動の強化につながっているのでしょうか。夜回りをし
ていても、緊急の名目が立たないときは終電の時間を気にしなければならない、とい
うのでは仕事になりません。
私たちは無駄ゼニを使えといっているのではありません。最小限の費用で最大限の
成果を挙げるべく努力するのは当然のことであります。その意味では、総選挙情勢の
読み間違いから大会議室を早々と選挙準備に明け渡し、揚げ句、理事会の会場費とし
てホテルオークラに二千万円も支払うなどということは冗費以外のなにものでもない
でしょう。問題は減点主義と効率主義の相乗作用が編集現場の士気を低下させ、
ニュースに立ち向かうデスクの瞬間的な判断力を阻害し、結果として共同のニュース
に対する信頼感を損ねていることにあります。そして、そういう現実を目の前にしな
がら、ニュース活動に対する経営の無理解に異議を申し立て、それをはねのける気力
のない編集幹部たちの姿勢が事態をいっそう悪化させています。おそらく現場の記
者、デスクたちはやり場のない不満を鬱積させていることでしょう。最近は、有能な
記者たちが次々と共同を去っていく傾向が目立ちます。これではニュース最前線で勝
てるはずもありません。
共同労組の機関紙にこんな声が載っていました。「社会部などハードなセクション
では『不公平感』がまん延している。休みをとらないのに帳簿上『休み』にしたりす
る不正が横行し、空気がすさんでいる。あらゆるセクションの実態を公正に比較した
上、人員再配置を含めて勤務条件トータルの問題として論議しなければ(社が準備す
る「新人事・賃金制度」も)おそらく意味がないだろう」。共同の組織自体が制度疲
労をきたしているのです。人員削減も抜本的な組織の見直しをしなければもはや限界
にきています。年休も代休も実際は有名無実になっているようですが、ニュース関連
職場ではこれ以上人員を減らせないため定年退職者の嘱託採用を進め、うわべだけは
人員削減するという姑息な手段をとり始めています。これでは職場は荒廃するばかり
でしよう。
同じ労組機関紙にKK共同職員のこんな言葉が載っていました。「『経営』につい
て想いを巡らせるとき、暗たんたる気持ちになる。これが世の情報最先端を走る企業
の姿なのだろうか」。そこで、斎田社長の経営哲学を検討してみますと「信頼される
通信社」「強力なジャーナリズム組織」「大競争に勝てる通信社」を建設するのが基
本目標だと繰り返し強調しています。しかし、どうやらこれはスローガンみたいなも
のらしく、具体的になにをどうするのかいっこうに肉付けされることはありません。
その代わりに社長は具体的課題として「ニュース活動の強化」「ニュースセンター・
ビル建設と二十一世紀の通信社のシステム・組織づくり」「構造的・恒常的コスト削
減と組織運営の効率化・活性化」「新時代の通信社としての組織・財政基盤整備計画
の策定」を挙げています。ただ、これらの課題と基本目標がどのように関連付けられ
るのか、説明されていないのでよくわかりません。
さて、「信頼される通信社」とはなにか。「最大限の構造的・恒常的コスト削減努
力ができないようでは、加盟社の信頼は得られない」という社長の発言から付度する
と、リストラによるスリムな組織になってはじめてそれは達成されるということのよ
うです。しかしその中で、最重要議題である「ニュース活動の強化」はどう位置付け
られているのでしょうか。すでに見たように、共同のニュース溝動はかつてない危機
的状況を呈しており、いかに経済効率の高い組織になろうとも、読者の期待にこたえ
るニュース活動ができなければ加盟社の共同離れはどんどん進んでしまいます。本
来、「信頼される通信社」と「強力なジャーナリズーム組織」とは同じことであり、
三大目標の二つは同義反復にすぎないのですが、社長の概念に即してとらえればこの
二つは二律背反の関係にあることがわかります。
「大競争に勝てる通信社」というのもわかったようでわからない表現です。社長の
創立五十三周年記念日のあいさつを読むと、「日本の新聞界・放送界の経営環境の悪
化による右肩上がりの成長構造の崩壊」について触れていますが、こんなことはいま
に始まったことではなく、十年以上も前から警鐘を鳴らされていたことです。しかも
不思議なことには世界の通信・メディア界を揺るがしている情報技術(IT)革命に
ついての分析がありません。これはどういうことでしようか。いま、まさに大競争の
時代には違いないのですが、その中身に立ち入った社長自身の言葉による説明なり認
識なりが欠落していては、結局、なにも言っていないに等しいというほかありませ
ん。社長の発言は、どこまでいってもスローカンを散りばめた包装紙みたいなもの
で、したがって社員が聞いても「勝つ」ためになにをすればいいのか、ちっとも理解
できないところに特徴があります。
今年の新年互例会の演説も似たようなものでした。社長は基本的課題の取り組みに
当たって二つのことを要請しています。その一つが「現実認識を強めること」で、も
う一つが「重点拡大という手法」だというのです。だれしも「現実認識」がなければ
生きていけませんが、どうやら社長は「甘い認識では生き残れない」ということを力
説したかったようです。それでは共同の現実をどのように認識すればいいのかという
と、その説明はなにもありません。かたや「重点拡大」とはなにが?これは社長の造
語で「重点的拡大」、つまりは乏しい資源を単なる縮小均衡ではなく、 重点的に投
入することによって事業の拡大を目指そうという意味のようです。こんなわかりきっ
たことを、もって回って難しそうにしゃべろうとする社長の「作風」は、ジャーナリ
ストのそれではなく、 むしろカルト教団の教祖の託宣に似ています。最近の経営戦
格会議で社長は「具体的なプランがなにもないじゃないか」と苛立ちを示したという
ことですが、経営の指針がこのように明確さを欠いていては良いプランもアイディア
も出てこないのではないでしようか。
ともあれ、マスメディアの世界はまさにシーチェンジ(大転換期)にあり、通信社
は存在意義を賭けた危機に直面しています。社長は通信社の機能としてニュース代行
業(ニュース・エージェンシー)の側面を強調し、共同の経営理念としてクローズド
サーキット論なるものを持ち出したことがありました。ところが実は急速なIT革命
の進展によって、多メディアへの速報と付加価値通信サービス(ワイヤ・サービス)
という通信社のもう一つの機能が比重を増しつつあるのです。共同がいま、通信社と
しての将来像を明確に持ち得ないのは、このような状況変化にほとんど対応できてい
ないからであります。
国際通信社であるロイターはむろん、経済情報サービスから出発したブルームバー
グ社もゼネラルニュースを含む情報を投資家に直接送り込む業務で経営基盤を固め、
ニュース代行業に進出しています。大新聞社もまた情報コストが下がるにつれて複合
メディアとして通信社機能を強化しつつあります。しかもインターネットが急速に普
及して、電子メディアはプリントメディアよりもはるかに豊富な情報提供力をもつよ
うになり、それに伴って広告宣伝メディアとしての価値を高めました。情報の世界に
はもはや聖域は存在しなくなったのです。こうした激動の中で、米国のAP通信社は
全米千八百社といわれる加盟新聞社をバックに八〇年代から独自の衛星通信システム
を確保し、インターネットのニュースページを採算に乗せ、同時に新聞広告のデジタ
ル伝送事業に手を広げました。
翻ってAPと同じ社団法人(ニューズ・コーべラティブ)の共同通信社はどうで
しょうか。八〇年代から手掛けた金融情報サービスは、提携していたダウ・ジョーン
ズ社のテレレート部門がロイターとの競争で後れをとった上、バブル後の金融界の混
乱で急速に業績を悪化させています。いまやロイターやブルームバーグなど外国通信
社が本格化させている日本語サービスの分野でも、共同はJLSを市場に定着させる
ことができませんでした。その分岐点になったのが、犬養康彦社長時代の金融情報シ
ステム「フロント」事業からの撤退であり、以後、共同マーケッツは米ブリッジ社の
総代理店以上の存在にはなり得なくなってしまいました。商業通信は聯合、同盟時代
からの重要部門としてKK共同に引き継がれてきたのですが、いまや時代の荒海の中
で沈みかけているのです。ダウ・ジョーンズ社も日本での事業提携の比重を共同から
日経に移してしまいました。
これに対して時事通信社はNTTと組んで金融情報サービス「メイン」を開発して
共同に先行し、バブル後の危機も凌いで情報ネットワークサービスの「プライム」に
たどり着きました。そしてNTTとともに放送衛星データ通信事業のイニシアティブ
をとって共同にも参加を求めてきたのでした。この間、共同は自前の経済データベー
スの構築を断念、加盟社との連合データベース「Kウインズ」も中止しました。こう
した電子メディア分野からの相次ぐ撤退について社内ではきちんと説明されたことも
なく、「大競争に勝てる通信社」という社長の基本目標との関連も明らかではありま
せん。
インターネットについても社長は昨年の米国訪問以来、情報通信手段としての重要
性にようやく着目したようですが、情報メディアとしてのホームページの運用では他
社に大きく立ち遅れてしまいました。共同のニュースが不特定多数の外部に流れては
困るという、加盟社の注文に対して、「大競争の時代」にどうやって共存共栄を図る
かという、まさしく今日的な課題にまともに向き合おうとしなかったツケが回ってき
ているのです。
こうした一連の流れは、二十一世紀の通信社にとって死活的な意味をもつ多機能路
線の、なしくずしの崩壊と総括しても言い過ぎではないでしょう。社長はいまでこそ
「大競争に勝てる通信社」などと口にしていますが、就任する以前には、共同の発展
にかかわる重要プロジェクトであっても、自らが主導権を発揮できないとなるとなぜ
か背を向けたり、潰しにかかったりしたという印象がぬぐえません。貴重な時間をい
たずらに空費し、結局は自ら墓穴を掘るに等しい結果を招いてしまったように見えま
す。その社長が最近、IT革命をめぐる通信社・メディア、ジャーナリストの熾烈な
闘いを描いた「勝負の分かれ目」という本を読むよう役員たちに推奨したということ
です。しかし、これから共同はいったいどのような将来像を賭けて「勝負」に打って
出ようというのでしようか。
二〇〇〇年度予算は経常経費が三年連続のマイナス予算、それも前年度比一・九六
%、九億円近い減額措置がとられることになりました。確かに日本はいまだ構造的不
況の泥沼から脱却できず、マスメディア業界も財政的逼迫に喘いでいます。どの企業
も身を切るようなリストラを迫られている中、共同もまた減量経営に努めるのは当然
のことであります。ただ、ここで根本的に疑問があるのは、現経営陣が共同の利益の
ために加盟社との予算折衝でどこまで真剣な努力をしたか、ということであります。
社長は昨年九月の全国会議で早々と「超超緊縮予算」の編成方針を明らかにし、加盟
社折衝の席に着く前にあっさりと白旗を掲げた形になりましたが、「入り」に苦労を
払わずしてもっぱら「出」を抑える姿はとうてい「経営」の名に値しないでしょう。
経費節減の継続・強化を表明した三月二十二日の本社部長会のあのしらけた反応を、
社長はどう受け止めたのでしょうか。産経との分担金交渉にしろ朝・毎・読三紙との
契約更改交渉にしろ、共同側の交渉能力に問題があるような気がしてなりません。こ
の調子では今後、たとえ景気が回復したとしても、加盟社に分担金の増額を求めるこ
とは極めて難しくなるのではないがと深く懸念します。
ともあれ、企業が真の力を蓄えるのはまさにこういう試練のときであるともいわれ
ます。
危機の中にこそチャンスがあるということなのでしょう。共同も例外ではないと信じ
たいと思いますが、いまの経営陣にそれを期待することができるでしょうか。たとえ
ば、社長は昨年末、編集局の部長クラスと一杯やった際、共同・時事合併の可能性に
ついて「いずれ選択肢の一つになるだろう」と発言、これが情報誌に掲載されるとい
う事態に発展しました。ところがそれから間もなく時事は、銀座東急ホテルの跡地に
新社屋を建設する計画を発表、新たなシステム開発を中心に独自路線を追求する姿勢
を明確にしました。企業の合併や提携は最高の企業秘密のはずですが、この不可解な
社長発言は共同経営陣の手詰まり感、閉塞感を反映しているようにも受け取れます。
そうした中でいま加盟社には、ますます強い危機感をもって共同の動向を見守る人た
ちが増えています。
私たちは志ある現役諸君に訴えたいと思います。通信社のニュース活動は、速報と
自分がニュースと信じることをどこまでも追いかけていく気迫と努力の上に初めて成
立するのです。その中で信頼できるニュースソースが培われ、特ダネが生まれてくる
のだと思います。そして、通信社記者としての行動が組織の官僚主義や偏った人事政
策によって妨げられるようなときには、敢然として発言することが重要です。職場が
かつてのような自由かっ達な空気を失ってしまった今日、それは決してなま易しいこ
とではありませんが、それでも報道の自由と責任をまっとうするためには、そこから
再出発するほか道はありません。身の回りで進められている愚民政策に気が付かず、
空疎な叱咤激励に沈黙していては、経営もニュース活動も下降のらせん階段から抜け
出すことはできないでしょう。
共同通信社の仕事に誇りをもつ諸君の奮闘を願ってやみません。
以上
二〇〇〇年四月