『東京スポーツ』
(2000年1月25日付)
 今週のトークバトル
[本誌編集長の連載]

東京スポーツ●これでいいのか!?
 公安調査庁が作り上げたオウム叩き
 国民総ヒステリー状態

オウム新法適用に向けて、観察処分の適否を決める手続きをめぐる公安審査委員会の意見聴取が行われたのが1月20日。その翌日には麻原彰晃の長男ら致事件が発生した。まさ に公安調査庁の説得力に欠ける観察処分請求の主張の不発ぶりをフォローするかのようなオウムスキャンダルだった。あまりのタイミングのよさに公安調査庁が一枚かんだ仕掛けではないかとの憶測が流れたのも当然だろう。
 というのも、リストラ官庁NO1候補と言われる公安調査庁のオウムに対する観察処分請求の理由も根拠も前回の破防法棄却時のお粗末さから一歩も抜き出ていなかったからだ。オウムはいまだ麻原の影響下にあり、今でも大量無差別殺人事件を起こす可能性がある という公安庁の主張は疑ってかかる必要があるのでは…。
 マスコミは、例によってオウムの組織名称の変更や上祐史浩らの幹部からの撤退、宗教活動の停止、危険な教義の破棄、被害者遺族への救済などの方針を、ことことく「新法適用逃れの方便に過ぎない」と大合唱を展開している。かと思えば、茨城県大子町では温泉 掘りの仕事にやってきたオウム信者を町ぐるみで追放するという動きもあった。まるで、これは「現代版魔女狩り」ではないか!
  常識的に考えて、麻原以下の事件中心人物となった幹部は、ほとんど全員が獄中におり出所のメドは限りなくゼロ。世界に誇る徹底した管理を見せる日本の拘置所の網をくくり抜けて信者が獄中の麻原からメッセージを受け取るチャンスなどあり得ない! 再び地下鉄サリン事件を起こすような人材も組織もないというのが、現在のオウムの実態ではないか! オウム側が発表している方針を実行に移しさえすれば、世間にあまたある宗教集団と何ら変わらないはずだ。
 それ以上に一時、世間を騒がせた統一教会や法の華、ライフスぺース、ミイラ事件の加江田塾のような奇っ怪な宗教団体は日本全国にいくらでも転がっているのではないか。さらに言えば、政教一致で国家支配をも射程に入れている創価学会などは、今のオウムに比べれば格段に危険極まりない存在と言わざるを得ない!

●必要なのは市民社会からの排除ではなく信者の心のケア

 なぜ、オウムでの権力と一体化したマスコミ・キャンペーンをやっているのか? 無論、過去に許すべからざる凶悪事件を起こした宗教団体であることは確か。しかし、公安 庁にとっては、今も危険な団体でなくては絶対に困るのである。リストラ候補の官庁が生き残るには、その存在が必要とされる条件がある。自自公が数の論理でゴリ押ししたオウム新法の適用こそ、その千載一遇のチャンスなのだ。
 それにマスコミが踊らされ公安庁の思惑通りの報道を続けていけば、一億総ヒ ステリー状態を作り出し、大子町のようなオウムアレルギー感情をはぐくむことだって、いとも簡単だろう。こんな大本営報道に権力の怖さを肌で知り尽くした経験を持つはずの有田芳生や二木啓孝といったオウム・ウオッチャーが権力のタイコ持ちに励んでいるさま は、いくら生活のためとはいえコッケイではないか。もちろん、僕とて空中浮揚などというインチキにだまされるようなオカルト指向の信者に対しては「大バ力者」と言いたいくらいだ。
 にもかかわらず、民主主義社会は宗教の自由を認めている以上、大バカ者たちがオカルト宗教に走ることを止めることはできない。
 オウム信者にしてもこれだけマスコミに叩かれても脱会しないのは、家族と絶縁し、この集団の中でいやされる部分がかなりあるのだろう。権力とマスコミが一体化したキャンペーンを張っても、個人の内面までは変えられない。宗教にしても思想にしても叩かれれ ば叩かれるほどいこじになり、かたくなになっていくことは、よくある話だ。
 元公安庁の若手キャリアエリート調査官だった野田敬生氏は「オウムより怖いのが公安庁」と喝破している。しかし、オウムキャンペーンを見ていると明らかに、大船に乗った気分での弱い者叩きの心根が見える。間題は市民社会からの排除ではなく、オウム信者 たちの心のケアであり、社会復帰への道であるという原点を忘れてはならない!
 (毎週月曜日に掲載)