『新・ゴーマニズム宣言7』 (1999年11月1日発行) 【11〜12頁】
いやはや小林センセイ、またまた本誌のことを取り上げてくれてました。
それも単行本の描き下しでだ。
11月1日に発行された最新刊『ゴーマニズム宣言7』(小学館刊)の巻頭「描き下し特別編」”ゴーマニズム戦記ーー新読者のために”と題されたそれは、これまで小林が歩んできた”ゴーマニズム”の軌跡が描かれているのだが、その中で『噂の真相』を取り上げ、「(『噂の真相』の内容が)昔ヌード・モデルをやっていた末永嬢(小林の元秘書)のことであり、そのため末永嬢は『好きな男のもとへ行く』というウソをついてまで、失踪してしまった」と書いているのだ。
『噂の真相』読者なら、この小林の主張の”ウソ”は先刻御承知だろう。
さらに、小林の”自分に都合よく事実を歪曲・捏造する”体質がいかんなく発揮された記述が後に続くのだ。
それは小林の元を去った末永嬢が、『薔薇の鬼ごっこ』という小説を書き蓮如賞を受賞した際、本誌がその授賞式に取材に行った際の記述である。
小林はこの時のことを「『噂の便所雑誌』のデスク・神林という女編集者が潜入していて 末永にべったりくっつき回り 『うちで手記を書け』としつこくせまるので 賞の審査委員だった中沢新一氏が激怒して 追い払ってくれたということだ おまえはいいかげんにしろ出ていけ−ー その声で周りがしんとする程だったらしい」と描いている。
しかし、事実は全く違うものだったのだ。
ここで小林の”悪意のねつ造”を証明するためにも受賞式の様子を再現しておこう。
もともと本誌はこの授賞式に主催者側から正式に招待されていた。そのため、京都で行なわれた授賞式にデスク・神林が編集長の代理として出席したのだ。
もちろん末永嬢が受賞したことで、手記、またはインタビューを依頼するチャンス、という狙いもあった。そのため、末永嬢に挨拶をして、手記の件を切り出したのだ。すると末永嬢は「わざわざ京都まで来て下さって」と好意的に名刺を受け取り、快く本誌との雑談に応じてくれた。そして『噂の真相』の記事で、「結果的に(末永嬢に)迷惑をかけたこと」を詫びると、「わかっています。私のことを褒めて下さっているのはよくわかっているんですよ」と本誌の真意を理解し、また手記の件は「うーん、私はいいんですが、小林先生が…」と、即答できないとの返事で、とりあえず編集担当者の名前を教えてくれたのだ。
その側にいた中沢新一氏は、このやりとりの一部始終を聞いて興味深そうに笑っており、本誌が名刺を出して挨拶すると、「前におたくの副編集長に会ったよ」と和やかに会話が続いたのだ。その間約5分ていど。パーティの主役である受賞者につきまとうほど、本誌は野暮ではないのだ。そもそも中沢氏は怒鳴るようなキャラクターではない。しかも、それ以前、田中康夫氏のパーティで本誌副編集長に会った際、「これで『噂の真相』は抑えた」と周囲に自慢していたくらいのオメデタ系の人物なのだ。
ったく。それを誰にこんなデタラメを聞いたのか、いや小林が伝聞を都合のいいようにねつ造したと考える方が妥当だろう。(だいたい小林はこの授賞式には出席していない。まな弟子の晴舞台にさえ駆け付けない冷酷な奴なのだ)。
つくずく小林のデッチあげ体質があらわれた一件だった。
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