『ニューズウィーク』(1999年9月8日号)
「インタビュー」 月刊誌「噂の真相」の編集長兼発行人岡留安則に聞く、真のジャーナリストが現れにくい時代だ

マスコミ マスコミ  月刊誌「噂の真相」の編集長兼発行人である岡留安則(51)は、日本で最も物議をかもすと同時に、ある意味では最も尊敬されている編集者の一人といえるかもしれない。
 二〇年前の創刊以来、「噂の真相」は検察や大蔵省などの国家権力組織、企業やマスコミにまつわるスキャンダルを、独自のゲリラ的手法で暴き続けてきた。今年四月には、同誌がスクープした女性問題が引き金となり、則定衛・東京高検検事長が辞任に追い込まれている。
 ユーモアと、ときにエロチックな切り口が受けたのが、発行部数は創刊時の五万部から二〇万部に伸びた。訴訟を起こされても、脅迫を受けても「真相」を追及し続けると言う岡留に、本誌支局の高山秀子が話を聞いた。
−−ニ〇年前に「噂の真相」を創刊した目的は何だったのか。  当初の主な目的はメディア批評だった。それもなれ合い的な批評ではなく、グサッと批判したから、メディアの人間にとっては気になる雑誌だったと思う。
 それに加えて、私はマスメディアにはできないことにも挑戦しようと考えた。日本のジャーナリズムがタブー視してきた皇室や強大な権力をもつ官庁、大手広告代理店や宗教団体に関する記事を掲載することだ。そうした記事は、記者が書きたいと思ってもメジャーなメディアでは没にされてしまう。
−−大手のメディアは、なぜそうした記事を取り上げないのだろうか。
 悪評高い記者クラブの存在が大きな原因だ。このシステムの下では、違うメディアに属しているはずの記者たちが、政治家や官僚からまったく同じ情報を与えられる。権力の側にいる者とジャーナリズムに属する者がこれほど癒着すれば、記者は権力側に追随するようになる。書くなと言われれば書かないという体質が、記者側にできあがってしまうのだ。
 日本の大新聞の一面を研究してみると、権力側の情報を基に書かれた同じような記事が並んでいる。記者たちが率先して自主規制しているようなものだ。
 大手メディアに属している記者のなかには、こうした体質に疑問をもっている人も多い。私の雑誌に情報提供してくれる記者もいるし、つぶされた企画を私の雑誌に書いてくれる人さえいる。
−−検察との戦いも続けているが。
 それも「タブー」だからだ。日本に司法記者はたくさんいるが、彼らは検察を批判する記事をほとんど書いたことがない。検察から見れば、私の雑誌はお上に逆らうとんでもない雑誌だろう。
−−「噂の真相」が日本の社会やメディアに与えた影響は?
 この二〇年間、「噂の真相」は大メディアが書かない、書けない記事を取り上げてきた。こうした姿勢は、私がかつて学生運動に携わっていたこととも関係がある。政府や国家は常にチェックしていなければ腐敗するものだという信念を、私はいだいている。
 しかし日本のメディアの多くは、権力のチェック機能を自ら放棄しているようにみえる。独立した形の言論メディアも、あまりに少ない。
−−スキャンダルや不倫、権力の腐敗などに対する日本人の反応や受け止め方は、このところ変わってきているか。
 今の日本は過渡期にあるのではないだろうか。かつての厳然とした日本社会の支配構造の下では、権力側の醜聞を暴いて雑誌に載せることはむずかしかった。
 しかし今は、強大な権力を誇ってきた大蔵省もたたかれる時代だ。こうした激動期は、告発などがしやすい時期でもある。これが一過性のものなのか、それとも何かが変わっていくのか、もう少し見極めていく必要がある。
−−圧力に屈したり、不安になったりすることはないか。
 私は、刺されてもいいと思いながら雑誌を作っている。だから、怖いものはほとんどない。憶病になれば、雑誌作りにかけるボルテージが下がってしまう。
 これまでに裁判に訴えられたのは三〇件ほどだ。現在係争中の裁判は、東京地検特捜部に起訴されている一件のみだ。
 「噂の真相」の強みは、編集長と発行人が同じであることだ。オーナーの私がイエスと言えば、企画が通るのだから。
−−日本の若いジャーナリストについてどう思うか。
 メディアが一般企業化していくなかで、記者にも「企業」に適した素直な人材が求められている。その結果、反骨精神にあふれた記者は必要なくなり、記者のサラリーマン化が進んでいるように思う。
 ジャーナリズムの専門性を意識し、情熱と使命感に燃えてこの世界をめざす人間も減っている。銀行と証券会社と出版社の採用試験を受け、出版社に受かったから入社するというケースが増えてきた。
 このままでは、「ジャーナリズムとは何か」という問題意識が希薄になる一方だ。残念だが、本当の意味でのジャーナリストが次世代に多数出現することを期待するのは、ますますむずかしくなっていくだろう。