11月某日 今年もこの季節がやってきた。本誌連載中の高橋春男氏を囲む飲み会&カラオケ大会。毎年恒例となっているこの会、今回は岡留編集長と歴代担当者3名が参加した。まずは、毎年恒例のふぐコース。高橋氏のマシンガントークは今年も最初から絶好調で、一同大爆笑の連続。一体どちらが接待されているのかという状態も毎年恒例。笑い疲れた一同が次に向かったのは、カラオケ。高橋氏はフォーク、岡留編集長は「時には娼婦のように」など、それぞれお得意のナンバーを歌っていたのだが、しかし、なぜか途中から、選曲は童謡のみという縛りのルールになり、童謡合戦が繰り広げられるという、ひと味ちがうカラオケ大会となった。「大きなのっぽの古時計」「線路は続くよどこまでも」「小さい秋見つけた」といった懐かしい歌に、一同しんみり。普段スキャンダルを追いかけて世知辛い岡留編集長が「う〜ん。心が洗われる」と声を詰まらせる一幕もあった。 そして心洗われた一同が最後に向かったのはこれまた恒例の歌舞伎町の文壇オカマバー『L』。場所柄かいつもここでは下ネタで盛り上がるのが恒例なのだが、岡留編集長と高橋氏は互いのセックス観について丁々発止しているうちに、いつのまにか今回のテロ問題について激論を交わすという珍しい展開に……。そして、ふと気づくと朝の8時前。夜の7時に始まって、12時間を越える長い夜となったのは、やはり毎年恒例よりやや長丁場であった。(01/11/13) |
11月某日 アメリカのアフガン報復攻撃の最中、新宿の銀座アスターにおいて「『あっちゃんお帰り!』の会」なる刺激的なパーティが開かれた。あっちゃんといってもピンとこないだろうが、パレスチナの日本赤軍兵士を志願してレバノンに渡っていた映画監督足立正生氏の帰国を祝う会というわけである。レバノンで拘束された後、日本に強制送還された足立氏だが、すでに刑期を終えて、晴れて自由の身。足立氏にもう一度映画を撮ってもらおうという趣旨での励ます会だったが、70年代前半のレバノン出国前から足立氏を知る若松孝二、松田政男といった仲間たちが呼びかけて実現。当日は新宿文化人というべき面々が多数集まり、その中には赤塚不二夫、鈴木清順、荒木経惟といった顔も。本誌編集長も足立氏に「ごくろうさま」と声を掛け、足立氏からアラブ式の左右のほほに2度づつキスされる挨拶をお返しされ大テレ。会場には重信房子の娘・メイさんや日本とパレスチナの交流を手掛けてきた元李香蘭こと大鷹淑子元議員の顔もあった。米国の理不尽なアフガン攻撃が続く中、パレスチナ事情に詳しい足立氏のマスメディアの上でのコメントは貴重であり、当面は映画監督を棚上げして、中東評論家として活躍して欲しいところだ。(01/11/6)
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11月某日 11月1日より4日まで、沖縄に行って来たスタッフY。米軍によるアフガン攻撃で拠点基地となっている沖縄も、アフガン側の報復テロの可能性が否定できないため、このところ観光客は激減しているが、ちょうど4、5年に一度という「世界のウチナーンチュ祭り」が行われていた。エイサーや琉球王朝行列など、数々の行事が行われるとあって、沖縄一の繁華街である国際通りを始めとして、どこもかしこも観光客や修学旅行生はもちろん、沖縄より海外に移住した日系1世、2世、3世の人々で溢れ帰っていた。格闘技好きのスタッフYは、さっそく沖縄空手の大会を県立武道館に見に行くことにする。薩摩藩や外国などの奇襲攻撃に「いつ何時でも誰の挑戦も受ける」というアントニオ猪木のような発想からあみ出された沖縄空手は、中国の少林寺拳法の流れも汲み、素手ゴロの実戦空手だけでなく、農耕機具であるクワやカマ、船の櫂、挙げ句の果てには馬の鞍などを使って戦うという生活に密着した武術も盛ん。老若男女、様々な人種の人々による演武や試合は、なかなか壮観であった。その後、公設市場にも足を向ける。NHKの連続ドラマ「ちゅらさん」のキャラクターグッズが多数置かれていたり、若者向きのおしゃれな店がかなり増えたとはいえ、一歩路地に入ると豚肉の塊や極彩色の魚や大きなサーターアンタギーが並ぶなど、まだまだ生活感溢れる店が多い。いわゆる沖縄のオバアたちが、食品や生活用品など、米軍の横流しの物資を売っている露店も多数健在。なんと「米軍がアフガン難民に落としている食糧パック」を堂々と売っている露店もあった。沖縄のオバアのたくましさを改めて思いしらされて帰京したスタッフYであった。(01/11/6) |