●編集日記 2000年6月分




6月某日早大本部キャンパスで「『噂の真相』編集長岡留氏、右翼に刺される! 天皇制?民主主義?ファシズム?これは我々の問題だ!!」と題したシンポジウムが開かれ、ゲストとして出席。実際は刺されたのかどうか未だ不明だが、それは大した問題ではない。他の出席者は写真の宮崎学(作家)、ペペ長谷川(だめ連)、酒井隆史(早大文学部非常勤講師)といった面々。主催はW-ANTIFA、共催はユニベル、週刊金曜日&宮台(真司)ファンクラブ。会場には約100人程度の学生が参加しており、本誌編集長の右翼襲撃事件の経過説明からシンポジウムは開始された。約2時間のシンポジウムでは、この右翼襲撃事件から今回の衆議院選挙、日本社会の状況についてまで話は発展。昨今はシラケムードのキャンパス事情が何かと指摘されるが、こうした形で社会と対峙しようという学生だって、ちゃんといるのである。会場にはこの右翼襲撃事件を取材中の『創』篠田博之編集長や夕刊紙記者、そして右翼団体「護国団」の石井昌二氏の顔もあった。このシンポジウム後、主催者側は今回の事件に対する「抗議文」を採決し、二次会へと流れていった。本誌編集長は編集作業が大詰めに入っているため、謝礼を二次会のカンパにして編集室に戻り、校正作業を続行した。なお抗議文を読みたい方は、リンクしておいたので見て下さい。早大学生有志による「抗議文」の全文はここ(00/6/28)


6月某日というより6月20日、「和久(西川)名誉毀損刑事裁判40回公判」が東京地裁406号法廷で開かれた。この日は冒頭から本誌デスクKの被告人証言。前回に続き和久峻三の記事の取材の経緯、告発者の信憑性、和久パクリ手法、テープ起こし手法、そして和久の非人間性などについて次々と明確に証言していった。1時30分の開廷から15分の休憩を挟んで4時20分まで、岡留編集長との予行演習をした成果があってか、前回の証言で自信をつけたのか、Kデスクは淡々と、そして堂々と質問に答えていった。これまで積み重ねた本誌記事の信憑性をさらに強固に補強する証言だった。次回は主に西川りゅうじん案件についてのKデスクの証言が開始される。期日は7月19日1時30分より、同じく406号法廷。 。(00/6/20)


パーティ
6月某日右翼二人組の襲撃直後だったが、本誌編集長は新宿の東京大飯店で開かれた「小実サンを偲び(小実ちゃんと又、呑みたいなあ)の会」に足を引きずりながら参加。小実サンとは、いうまでもなく、先頃米国ロスアンジェルスで逝去した作家・田中小実昌サンのこと。本誌編集長とは前田祟江サン(故人)が経営していた新宿ゴールデン街「まえだ」をはじめ、この街で頻繁に顔を合わせており、『噂の真相』でもエッセイの連載をやってもらったこともある間柄。腰が低く、飄々としたキャラクターはこの新宿ゴールデン街でも誰にでも好意をもたれる、まったく偉ぶらない貴重な作家だった。この日は、小実サンがこよなく愛したストリップショーも愛川ユキ嬢がゲスト出演して踊ったり、三上寛がフォークギター片手に追悼で歌ったり、いつもジンソーダを飲んでいた小実サンの死を悼んだ。
 会場には野坂昭如、筑紫哲也、団鬼六、若松孝二、高橋伴明といった面々をはじめ、新宿ゴールデン街の常連客多数が詰めかけていた。写真下は、本誌編集長の病状を気づかって会話中の筑紫哲也、若松孝二の両人。6月末には小実サンに次いで、この街をこよなく愛した作家の中山あい子サンの「偲ぶ会」も開かれることになっている。最近のゴールデン街は若い店主や客が増えはじめる一方、この街の名物的な人々の顔ぶれが一つずつ消えていくのも寂しい限りだ。「街」もまた”生き物”である以上、仕方のないことではあるが…。(00/6/12)


診断書
6月某日マスコミでも大々的に報道された通り、6月7日本誌編集長、副編集長が抗議に訪れた2人組の右翼に襲われるという事態が起った。襲われた編集長は同日中に病院に行き右大腿部を3針、額を6針縫い全治2週間との診断 を受けた。が、翌日になって、男性スタッフの多くが負傷を負っていたことが判明した。編集長と同時に襲われた副編集長は、腎臓を殴られ病院に行き、腎臓には異常はみられなかったものの「ろっ骨にヒビが入っている可能性がある」との診断で、痛みのためこの日一睡もできず、人の手を借りないと立ち上がれない状態。また直接襲われなかったものの、騒動を止めようとした編集Mは振りおろされた椅子に手を強打して、左手がグローブのように腫れ上がった。さらに脇腹を殴られたN記者は帰宅後も痛みがとれず、朝イチで医者にいったところ、なんとろっ骨にヒビがはいっていることが判明、コルセットを巻いて出社する羽目に。またT記者は顔面を殴られたため、口内が切れ、前歯がグラグラして食事にも不自由するなどと、まさに満身創痍状態で翌日を迎えたのだった。暴力の恐ろしさを感じた一夜だったが、翌日は欠勤することなく全員が出社し、事件当日に行われる予定だった編集会議を行うなど次号にむけての誌面づくりを再び開始した。ちなみに今回の教訓として、民主的な話し合いなど通用しない暴徒、暴漢に対しては、自衛のため安易に応接間に通さない、スタンガンや木刀を編集部に常備しておくことを確認する。
 ということで、一応事件は収拾されたが、新聞が一斉に報じたこともあり、翌日もお見舞いの電話が鳴り響き、週刊誌などの取材申し込みも引き続きある。さらに右翼団体幹部の名を語る脅しの電話もあったが、これは後に”ニセモノ”によるものだったと判するなど、その余波はまだまだ多い。どこぞのホームページに編集長の自宅住所が公開されるなど不気味な動きもある。今後も何らかの警戒が必要だろう。また四谷署の刑事たちが来社し、昨日の事件の模様を再現する実況検分も行われた。編集長や副編集長、そして逮捕された2人組の名前の書かれたプレートを首からかけた刑事たちが、”その瞬間”の動作・現場を再現し写真を撮ったのだが、初めて見るこの様子にスタッフたちは興味津々だった。(00/6/8)