●編集日記 2000年5月分
5月某日 本誌連載でもおなじみの天才アラーキーこと荒木経惟の還暦パーティが開かれた。締切り真っ最中とはいえ、ぜひお祝いに行かなくては、ということで編集長はパーティ初体験で新たに荒木担当になった新人I嬢を伴って出掛けた。 「いいか?パーティでは、ボーっとしていないで有名人は誰がいるかぐらいはチェックしておくんだよ」と、編集長はI嬢にパーティ取材法を伝授。「ハイッ」とさっそくI嬢は身動きできないほどに混合った会場を見渡す。そして作家の町田康夫妻を発見。「噂の真相です」とI嬢が自己紹介すると、「根も葉もないことを書いて頂いて」と町田康。町田氏の隣にいた敦子夫人も「悪妻です」と自己紹介。実は本誌は恐妻家特集で町田康夫妻を取り上げたことがあるのだ。町田氏は「財布のヒモは握られてません、カードも僕の名義です、お金は自分で持ってます」と最後はポケットから札束をとり出して見せ本誌記事を全面否定。「あの後『AERA』にも悪妻と書かれ、某新聞からも『悪妻なんですか?』と問い合わせが来たんですよ」と夫人からも苦情を言われる。これにはI嬢「スイマセン」と苦笑したという。が、これを聞いた編集長はI嬢に「だったら奥さんの写真を撮って『これが問題の悪妻!』とやるんだよ」と噂真流ノウハウを伝授。その教育もあってか名物編集長の末井昭と女装写真家・神蔵美子のツーショット撮影に成功し、編集長にホメられたという。 一方の編集長は知り合いと談笑しながらも、カメラ片手にシャッターチャンスをうかがっていた。常に取材を忘れない編集長なのだ。そしてお色直しを終えて真っ赤なスーツ姿の荒木さんが登場すると、編集長自ら最前列に行ってパチパチと撮影。 その後、荒木さんの歌、瀬戸内寂聴のあいさつ、とパーティはドンドン盛り上がっていく。が、二人は締切り中の身、いつまでもパーティを楽しんではいられない。残念ながら荒木さんに挨拶する間もなくパーティ会場を後にしたのだった。(00/05/27) 5月某日 いつものように編集部に来た大量の手紙類を勝手にチェックしていたMは、その中に香港からのエアメールを発見! も、もしやと震える手で手紙を開封したMが見たものは! それは紛れもなく香港の人気俳優サム・リーからの返事だったのである。サム・リーといえば、今や香港の若手俳優として活躍する超売れっこ。最近では『アエラ』の表紙も飾り、今も渋谷のユーロスペースで『花火降る夏』が公開中である。そのサムから返事をもらえるなんて……。 実を言うと、このゴールデンウィークに香港へとひとり旅立った人妻でもある編集Mは、サムへの手紙&プレゼントを彼の事務所に届けに行く(もちろんアポなし)という暴挙に出ていたのであった。事務所のスタッフに本人には間違いなく渡します、と言われ、それだけでも十分シアワセだったのだが。 感動のあまり、編集長にもさっそく報告(というより自慢)したところ、「こっちが日本のメディアだから返事が来たんじゃないのか。雑誌を私物化するな」とそのミーハーぶりをたしなめられたが、夢心地のMの耳にはまったく聞こえていないのであった……。(00/5/24) 5月某日 雑誌界としては異例中の異例といわれる「和久(西川)名誉毀損刑事裁判39回公判が東京地裁406号法廷で開かれた。この日の東京地裁は麻原彰晃や宮崎勤、そして東電OL殺人事件で無罪判決を勝ち取ったネパール人のゴビンダ氏の高裁による拘置尋問も行われたため、地裁の玄関は何となく物々しい雰囲気だった。今回から左、右陪審席裁判官が交代。そのため、改めて恒例の更新手続きが約一時間半にわたり行われる。本誌弁護団は、西川りゅうじん、和久の秘書兼カメラマン、和久の元秘書で本誌に対する情報提供者でもあるKの一部調書朗読を要請。裁判長らが交代で読み上げた。後その15分間の休憩の後、いよいよ本誌デスクKの証言が開始された。本日は時間の制約もあり約40分。Kデスクは淡々と喜田村洋一弁護人の尋問に答える。尋問終了後、本誌編集長の採点は「態度は90点、証言内容70点のデキ」とシビアな評価。次回もKデスクが証人として出廷するが、次回は証言にも慣れて本領発揮となるかどうか、乞うご期待(笑)。(00/5/12)
5月某日 『噂の真相』和久・西川刑事裁判の6人の弁護団の中で唯一の判事出身だった小野慶ニ弁護士が10日、胃ガンのために逝去した。小野弁護士は初公判から足かけ5年にわたり本誌の弁護に尽力してもらっていたが、ここ2、3年は体調が思わしくなく、入退院を繰り返していた。そうした状況の中でも本誌の公判や弁護団会議には可能な限り出席、本誌の無罪を信じ、力を尽くしていただいた恩人である。また体調がよい時は一緒にお酒も飲み、「最近あまり飲めなくなった」といいながらも美味しそうに日本酒を飲んでいた姿が思い出される。上野の源隆寺で行われた通夜には編集長とKデスクが出席。法曹界をはじめ多くの参列者がその死を悼んでいたのが印象的だった。深く合掌。そして小野弁護士のためにも結審の近い本誌刑事裁判の全面勝訴を是非とも勝ち取りたい。(00/5/12)5月某日 本誌Kデスクが、女性のためのホームページ「おんな.com」の開設にあたり、インタビューを受けたが、その「おんな.com」がめでたく5月10日に開設された。『噂の真相』の場合、こうした外部インタビューに応じるのは編集長と相場が決まっているだけに、女性スタッフの素顔の一端が覗けるのは珍しいケースといえる。 興味のある方は 「オンナ.com」の「Onnaインタビュー」のページをどうぞ。(00/5/11) ![]() 5月某日 「喜納昌吉 1948〜2000 流れるままに」(エイト社・1800円)の出版祝賀パーティが東京渋谷の「LIVE CAFE QUON」にて開かれ、この本に寄稿している本誌編集長も招待されて出席。会場はライブハウスでもあり、来賓の挨拶が終わった後は、喜納昌吉氏の「花」や「ハイサイおじさん」などの演奏が始まり、コンサートに一変。会場には土井たか子、保坂展人の社民党議員、高野孟、辛淑玉、湯川れい子、仲曽根美樹らの顔もあった。喜納氏は「おととい北朝鮮から板門店に行ってきた」と語り、「二回目の北朝鮮訪問だったが、前回は食料危機もあり逼迫していたが、今回は比較的落ち着いていた」との事。歴史的な南北首脳会議が間近に迫っているせいなのか。この喜納氏が板門店から韓国を見ている同じ頃、本誌編集長はソウルに滞在し、例によってウォ−カーヒルでカジノに興じていたという。(00/5/9) 5月某日 編集部でもっとも「南の島」が似合わない男・K副編集長が、ゴールデンウイークに何と石垣島にリゾート旅行に行くことに。K副編集長といえば、例年、「次号の企画が心配だから」とゴールデンウイーク中にも毎日出社しているほどの「ワーカホリック」。しかも異常なまでの飛行機嫌いで、今まで一度も飛行機に乗ったことがない。それがいきなり、「石垣島」とは――。周囲が唖然としていると、K副編集長はそれにかまわずこう続けたのだった。「スタッフも充実してきたから、これからはオレも岡留さんを見習って、休みにはリゾートライフを満喫するんだ。携帯電話も切って、大自然の中で仕事の垢を洗い流してくるぞ!」ところがK副編集長の41歳にして初めて体験したリゾート旅行は、なんともトホホなものだったらしい。実は出発直前、ライターのSから「某大物政治家が石垣島に広大な土地を隠し持っているらしいよ。Kさん、どうせ行くなら調べてきたら」といわれたK副編集長、当初は「プライベートで行くんだから、仕事はしない」とクールに言い放っていたにもかかわらず、俄然「仕事の虫」がうずきだし、石垣空港に着くやいなや、ビーチに妻を残し、石垣市の法務局に直行。妻が若いインストラクターと一緒にダイビングを愉しんでいる間、ずっと土地・建物謄本とニラメッコしていたのだという。 しかも、翌日は朝からレンタルバイクを借りて、問題の土地捜しと聞き込みを開始。道なき道をバイクで走り、ようやく土地を見つけた時は、既に日沈直前。結局、エメラルドの海や珊瑚礁をゆっくり満喫することもなく、K副編集長のリゾート滞在は終わった……。東京に戻ってから、「石垣島、どうだった?」と聞かれたK編集長、ウーンとうなってこう一言。「港区の法務局より石垣の法務局のほうが親切だったかな」(00/5/9) |